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発売記念SS「Beginning of things」
​​ 著:偶蹄目

 

「見て、ここのパンケーキ美味しそうじゃない?今度の休みに二人で行こうよ」

 

 とある休日の昼下がり。俺のベッドを陣取って雑誌を読みふけっていた百合に、スマートフォンを差し出した。反応した丸い瞳は重たげにそれを見る。今彼の目が追っているのは人気のパンケーキ店のネット記事だ。前々から事あるごとに「行きたい」とぼやいているのを知っていたので今度のデートにでもと調べていたのである。

カントリー調の店内には丁寧に手入れのされた植物が飾られ、それらが平等に採光出来るようにと工夫された内装は店は明るい。名物のふかふかのパンケーキが一層美味しそうに演出されている。場所も比較的便利な場所で申し分無い。きっと数秒後には「行く!」と元気な声が返ってくるだろうと。

 

「…いい」

 

―――思っていた予想は大きく裏切られた。

戻ってきたのは予想もしていなかった拒否だった。重たい声で返して、百合は俺のスマホをベッドに伏せる。

 

「いいって…行かないって事?」

「そー」

「あんなに行きたがってたじゃない。テレビとか雑誌でパンケーキのお店の特集見るたびにいいなあ…って」

「いーって」

 

先ほどより少しイラついたような声で百合が再度拒否を口にする。

雑誌越しに寄越してくる視線は刺々しく剣呑だ。それ以上この事に触れてくれるなとでも言いたげなそれに閉口する。

 

「…ごめん」

「あっいやっ…こっちこそ悪ぃ…

 …お前が誘ってくれんのは嬉しいんだけど、無理なんだよな」

「無理って…なんで?」

「俺みたいなのが行ったら浮くだろ、常識的に考えて」

 

吐き捨てる様に言って、百合はそっぽを向く。「俺みたいなの」は彼の容姿。ひいてはファッションにかかっているのは明らかだった。

百合はお洒落で容姿も悪くない。女子が相手の判断材料としているらしい「清潔感」もある。しかしそれが彼の思うパンケーキの店にふさわしい格好かといえば、首を振らざるを得ない。

今の服装を一つとってもオーバーサイズのシャツとハーフパンツ、それにレギンス。モノトーンでコーディネートされた衣服に蛍光イエローのブランドロゴが一際鋭く存在を示している。原宿にいる男性にはそれほど珍しくもない格好だけれども、同じ原宿であってもパンケーキショップに足を運ぶ女性の傾向とは一線を画しているのは間違いないだろう。気の弱い女性であれば避けるような、そんな風体である。

百合は自分の好みでこの格好をしているし、普段は堂々としたものだ。俺もそんな百合が可愛いと思っているし百合の周囲の人たちもそうだろうとは思うけれど。それは自分たちのテリトリーに限定した話だ。口喧しくて態度が大きい恋人は、その実案外小心者で人の目線を気にするきらいがある。

 

「大丈夫だって、誰もそんなの気にしないよ。変な格好でも無いし」

「いやいや浮くって。女の園だろスイーツの店って」

「デートの定番スポットだよ?男の人もいるでしょ」

「…前に下見に行った時は店員も含めて女子しかいなかった!

しかもみんなカワイイ服着てた!オレみたいな格好の女子はいなかったぞ」

 

下見までしたのか。

百合の通う学校の程近くにあるパンケーキショップに行ったのだという拗ねた顔に苦笑する。ファッションビルの一階に店を構えているあそこなら、店に入らなくても内情を探る事は出来る。

それは、女性しかいなかったことだろう。不便なことにその店の入り口はランジェリーショップの居並ぶビルの中にしか無いのだから。デートの客ならいたかもしれないけれど仮にいたとして、通りすがりを装って忙しく窓を覗いたであろう百合の目に留まるはずもない。

 

「でも俺も一緒に行くよ?視線集めるのは百合一人じゃないよ」

「…お前と行くのが一番問題なんだよ」

「俺と行きたくない?」

「行きたくないわけじゃねーけど…でも、男二人とかそれこそ見られるだろ。

 盗撮されてSNSで晒される!「パンケーキショップでゲイカップル発見!」とか言って……」

 

その部分に関しては純然たる事実ではあるのだけれども、勝手に撮られてネットの肥やしになるのは頂けない。とはいえそんな事無いとは思うのだけれども。杞憂(きゆう)だと伝えても、きっと百合はそうかと納得はしてくれないだろう。

百合は元々ストレートの人間だったのに、俺の告白に応じて付き合ってくれる事になった。俺が引っ張り込まなければ多分一生涯ストレートのままで過ごしただろうし、可愛い彼女と連れ立って大好きなパンケーキを食べに行ったのかもしれない。彼は服装も要因だというけれど、一番大きな性別の問題を作ってしまったのは多分俺だと思うと申し訳なくなる。

 

「あっ…お前と付き合ってるせいとは思わないからな」

「違うの?」

「お前と付き合ってなくったってダチと行く時に多分同じ事言ってたって!

 それに、俺はお前のことが好きで付き合ってるんだよ。それを負い目に思ったことは無い」

 

丸い瞳が俺を捉える。黒い眼は、鏡面のように俺の姿を写していた。

俺の猛アプローチの末に応えてくれた時の目と同じ真剣なそれに閉口する。

 

「まあいざとなれば女友達に付き合ってもらうし」

「それはちょっと!」

「冗談だって」

 

目が三日月の様に細められる。してやったり、と言ったような顔だ。

今度はちょっと俺が拗ねる番だ。冗談でも、百合が誰かと二人きりなんて想像したくない。わざとらしく俯いてみせると慌てたように百合が飛びついてきた。そのまま二人でベッドにばふんと倒れ込んだ。

俺よりも一回り小さな百合の重さと体温が、じわりと服を通して伝わってくる。顔は見えないけれども、百合は小さく笑っているようだった。

 

「何で笑ってるの」

「いや、なんかお前が嫉妬してんのが面白くてな」

「面白くない」

「ごめんって」

 

 くつめきながら百合は俺の頬に唇を落とした。半ばあやすように触れた唇は柔らかな熱を残していく。

ちゅ。とわざとらしいリップ音を小さく置いて逃げるそれを追って、俺も彼に口付けを返した。不意打ちのキスに驚いたような吐息が薄く開いた口から俺の口腔に滑り込む。小さな隙間から自分の舌を侵入させると百合の細い肩がぴくりと跳ねる。お邪魔した口腔が思いの外温いのは飲んでいたジュースに冷やされたからだろうか。頬の粘膜を撫でれば俺の舌の方が熱い程だった。

突然の反撃に驚いたのか体ごと逃げようとする百合の腰を抱き、腕力だけで引き寄せれば百合は声にならない悲鳴を上げた。普段追いかけてまでキスをする事のない俺の行動に百合は驚いているだろうか。今無理矢理に逃げるとどちらかの歯で舌を切ってしまいそうで怖いというのもあるけれど、折角のキスを途中で切り上げるのは勿体無いというのが行動の大凡の理由だった。怯んでしまった百合の舌の溝をなぞると、鼻に掛かったような息が漏れた。先程まで強気で俺のリアクションを楽しんでいた瞳は既に閉じられ、眉も悩ましげに顰められている。自分から仕掛けておいてその反応は無いと思う。

ぴく、と震える背中をぽんぽん叩いて薄い舌を思い切り吸うと小さな悲鳴が口内に反響した。酸素を奪う様な口付けを終え、唇を離すと唾液が緩慢に滴り、俺のスウェットに小さなシミを作る。

 

「何で自分からキスしたくせに逃げるの」

「だって、」

 

酸素を必死に取り込みながら、百合は口内に残った唾液を飲んだ。ぽってりとした美味しそうな唇は俺のとも百合のともわからない唾液でぬらぬらと光を反射している。それがまた猥りがわしく、濡れる唇にキスを落とした。

さっきまでが嘘みたいに、否。それどころか俺たちにとっては随分と珍しい艶っぽい空気に思わず喉が鳴った。普段はじゃれる延長の様に行為が始まり、色気の無いピロートークで終わるのが常だ。百合のもともとの気性もあるけれど、俺自体そういうムードの作り方がよくわからない。セックスの境界はひどく曖昧で、その輪郭を掴む前に行為が終わっている事がほとんどだ。

婀娜っぽい音楽が聴こえるようなあけすけな雰囲気になったのは本当にいつぶりだろう。

淡く潤んだ黒瑪瑙の瞳を見つめているとぽてりとした唇が薄く開かれる。ピンク色に色づいた唇が何某かの言葉を紡ごうと呼吸をした瞬間―――百合のスマートフォンがけたたましく泣き喚いた。

 

「うわっ!?」

「えっ!?何!?オレのスマホ!?」

 

情けなくも素っ頓狂な悲鳴を上げてしまった俺の心臓は、バクバクと早鐘を打っていた。百合の方もあたふたしながら卓上に置いていたらしいスマホを手にとる。ちらりと見えた画面には俺の古巣で、百合の現バイト先に勤める同僚の名前が表示されていた。

 

「はい、もしもし―――」

 

いつもどおりに電話を受けている百合の背中を見ながら、勿体無いなあ等という感情が滲んでしまう。久しぶりに恋人っぽいべたべたの甘い時間を過ごせると思っていたのだけれども。

電話はどうやらシフトを代わってくれないか?という打診らしかった。百合は死ぬほど申し訳なさそうに断っている。次は代わるので!と言いながら通話を終わると、百合は重力に従ってベッドに身を横たえた。すぐ横に振ってきた頭をなでてやると可愛い恋人は「ふみょ~」等と謎の鳴き声を出す。

 

「ビビった…マジで心臓止まるかと思った」

「シフトの話?」

「そー、先輩からだった。急に代われって言っても無理だよなあ…」

「ちょっとタイミング悪かったね」

 

さらさらとした髪を撫でながら言えば丸い頭は小さく頷いた。

「まあお前といなかったら多分代わってたけど」と付け足された言葉に胸があったかくなる。彼にしてみれば先輩にあたる人間の頼みを蹴ってまで、俺と一緒にいたかったというその気持ちが何よりも嬉しかった。

さっきまでの甘い雰囲気は雲散霧消してしまったけれど、それとは別種の優しい雰囲気が昼下がりの俺の部屋を満たす。小さな頭が揺れて、俺の顔を見る。気不味いように唇を尖らせた百合は小さなちいさな声で「…続きする?」と紡いだ。

 

「さっきの続き?」

「ん…」

「百合はシたい?」

「シたい…って、何でそんな事訊くんだよ」

「いや、中断しちゃったお詫びで訊いてるならこっちが申し訳ないなって」

 

そう言うと、百合は暫く黙ってしまう。そうしてやにわに、彼の頭を撫でていた手を引っ掴んだ。細い手指はさっきまでの熱を孕んだようにまだ熱く、俺に体温を伝えてきた。

 

「オレが!シたいんだよ!

 そんな詫びでエロい事なんてするような殊勝な人間に見えるか!?」

 

 見える。という言葉は流石に飲み込む。実際百合は俺に遠慮する事があるのだから。とはいえゆでダコよろしく真っ赤な顔で俺を見る今の彼にそのつもりは無かったのだろう。

「言わせんな恥ずかしい!」とどこかで聞いたような台詞を言いながら唇を尖らせる彼の手を握り返すと、少し驚いた様に目を見開き、それからすぐに顔を背けた。髪の隙間から見える耳までもが赤く色付いているのが可愛くて、小さな耳殻に口を寄せた。

 

「俺もシたい」

 

ありったけ甘く囁やけば百合の肌はますます赤らんだ。じわりと汗の滲むのが愛おしい。誘われるままに首筋にキスをして、頬に、ぽってりと色付いた唇に。口付けを繰り返すと可愛い恋人はこそばゆそうに身を捩る。

 

「じゃあ続きしよっか」

「…おう」

 

その為にはまず準備だ。さっきまで百合が読んでいた雑誌やスマホをテーブルに避難させて、ついでにカーテンも閉めてしまう。誰かから見えるような場所ではないけれど、百合が不安がってしまうから。

サイドテーブルに必要なものを準備して、ようやく百合のところに戻ると彼は所在なさげに髪に触れていた。この時間に何をしていいかわからず、これから来る一時を想い、ある種の気まずさを感じているのだろうか。

もじもじと居心地悪そうにしている彼の名前を呼び、痩躯を抱くと細い感触が返ってくる。触れた胸越しにドクドクと小動物じみた早い鼓動が伝わってきた。

 

「百合、ドキドキしてる」

「そりゃするだろ、お前はドキドキしてないのかよ」

「してるよ」

「……ほんとだ」

 

「お揃いだな」と微笑む百合に、今日何度目かになるキスを贈る。柔さを楽しむように啄んで、感情を流し込む様に貪った。お互いの境目すら曖昧になっていく様なそれの最中、俺はある名案を思い付く。名残惜しくも口付けを中断して、はふはふと呼吸を繰り返す百合の肩を撫でた。

 

「さっきのパンケーキの事だけど、俺にいい考えがあるんだ」

「っは…なんだその、絶対ダメそうな台詞…」

「大丈夫任せて!」

「…いーから、続き!その話はまた後!」

 

俺の胸ぐらを掴んで、百合はキスを強請る。パンケーキの話題を打ち消したいからか、それとも単純に行為に耽溺したいからかはわからなかったけれど、俺もそれに応える。妙案を頭の片隅にしまい蓋をして。ゆっくりと甘い快楽に身を浸していく。

「ああ、早く百合の喜ぶ顔が見たいな!」なんて閉じ込めきれなかった感情にワクワクしながら。

 

終わり